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Auschwitz

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アウシュヴィッツ (ポーランド)



クラクフの町を歩いていると,アウシュヴィッツ行きのツアーの看板があちこちにあった。そのうちの一つで15:00発のツアーバスを予約した。

ツアー・バスは16:00すぎにAuschwitzに到着した。Auschwitz専属のガイドが,いくつかの注意を与えたあと,内部を案内してくれた。

入口の有名なスローガン"Albeit macht Frei"(働けば自由になる)がそらぞらしい。そのスローガンの下を,イスラエルの若者が国旗を振りながら出てきた。

古い大きな建物,その周囲にある監視棟と鉄縄網がものものしい。建物の中は博物館になっていて,収容者の残しためがね,くし,毛髪,衣服などが山と積まれている(建物の中は撮影禁止)。なぜアウシュヴィッツに収容所を作ったか,それはここが欧州の中心だったから! エッ?ここが欧州の中心?

確かに地図で見ると,スペインからシベリアまでの全欧州の中心はアウシュヴィッツである。鉄道路線がここを中心に放射状に整備され,何千,何万という人々が運ばれてきた。

反逆者を処刑するための射殺場やギロチンもあった。新しい毒ガスの研究が行われ,効率よく殺すため,致死量の研究が行われた。そのため,男,女,大人,子供のデータが取られた。この研究では何百人という人が苦しみながら死んだ。

アウシュヴィッツだけでは足りなくなり,ビルケナウに大工場を作った。ビルケナウはさらに規模が大きく,収容棟は数えられないほどある。鉄道線路は直接敷地内に導入され,人々が下ろされた。女と子供は直ちに毛髪を切られ,シャワーののちガス室に入れられた。男は労働のため,収容棟に入れられた。木製の3段ベッドがいくつもあり,できるだけ多くの人をつめこむため,ベッドには傾斜がついていた。トイレ 棟に行けるのは1日に1回のみ。長い長いコンクリートの板に穴をあけただけのトイレである。

焼却炉が不足したため,死体を埋める大きな穴が掘られた。収容者たちは,明日はわが身と思いながらも,1日でも生き延びるため,必死に働いた。

アウシュヴィッツとビルケナウには,合計8,000人の従業員がいた。ほとんどはドイツ人だ。女性の従業員もいた。舎監や厨房など。120万人以上を殺すため,これだけの人員が必要だった。

夕方6時前,ビルケナウが真っ赤な夕日で染まった。この赤い夕日を,収容者たちはどのような気持ちで見ただろうか。明日はどうなるだろう,と思いながら。

15名のツアー客は,強い衝撃を受け,押し黙ったまま帰路についた。

《アウシュヴィッツへのツアー》

クラコフ市内からいくつかの会社がツアーを行っている。ツアー会社は送迎のみで,説明は現地の専門係員が行う。アウシュヴィッツとビルケナウの両方を訪問して,大体100Pln程度(入場料込み)。列車とバスを乗り継いで行くこともできるが,かなり不便で,説明もないので,ツアーをお勧めする。

 

 

 

 

 

 

 

 

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スローガン"Albeit macht Frei"の
下を通るイスラエルの若者

アウシュヴィッツ収容所

監視搭

有刺鉄線

ビルケナウ収容所

ビルケナウ収容所
(中側からゲート)