The Great Journey

 

グレート・ジャーニー


15万年前に人類がアフリカで誕生して以後,人々は新天地を求めて旅に出た。中央アジアからシベリア,さらにベーリング海峡(氷河期には陸続きだった)を越えて北米へ,さらに南米南端の フエゴ島に達した。この間,いくつもの民族や種族を生み,進化して各地に住みついた。イギリスの考古学者ブライアンMフェイガンはこの偉大な旅をThe Great Journeyと名付けた。

フエゴ島のウシュアイア周辺にはヤマーナYamanaなどの4部族が約1万年前から住みついていた。このあたりの部族はYamanaのほかにShelknam, Kaweskar, Mannekenkがいた。人口は合計1万人程度か。Yamanaはビーグル海峡をカヌーで往来し,あしかや鳥類,魚介類を常食していた。Shelknamはグアナコや鳥類を常食していた。いずれも厳寒気候に堪える能力と生活様式をもっていた。栄養価の高い動物性たんぱく質を摂取し,体表にはアシカの油を塗り,夜は火を焚いて暖をとっていた。この火を見た欧州人はこの土地をTierra del Fuego(火の国)と名付た。彼らは現代人にはない抜群の耐寒能力をもっていたようだ。

ヤマーナはカヌーでビーグル水道を往来していた。その一つ,ブリッジ島Isla Bridgesには多くの貝殻が残されている。ウシュアイアからのクルーズ・ツアーではヤマーナの住居跡を再現していた。

原住民の人口は,欧州からもたらされた風土病などによって減少し,現在は数100人〜数1000人程度になっている。ヤマーナは特有の言語と文化をもっていたが,現在ヤマーナ語を話すのはナパリナ島に1人いるだけという。

以上はウシュアイアの世界の果て博物館Museo del Fin del Mundoとプンタ・アレーナスのサレシアノ博物館Museo Regional Salesianoで見聞した話をまとめたものである。厳寒のパタゴニアでの生息が明らかになった。

パイネ国立公園に近いミロドン洞窟Mylodon Caveにも原住民の跡が見られる。ここでは巨大なナマケモノのような動物の毛皮が発見されており,1万年前に絶滅したこの動物を原住民が常食していたと考えられている。(プエルト・ナタレスからのツアーに含まれている。)

では,彼らはなぜアフリカからパタゴニアまでやってきたのだろうか。食を求めて,あるいは敵に追われて,など色々理由はあるだろう。しかし,これだけでは説明できない要素がある。そのモチベーションを求めて,関野吉晴はパタゴニアからアフリカへの逆コースを自らの脚力と腕力のみで遡り,ジョン・タークは縄文人のたどったコースをカヌーで追跡する。

ジョン・タークはその理由について,ロマンチックな性格をもつ異端者が常にいたと推定する。人類をパタゴニアまで導いたのはそのようなロマンチストだ,と断定する。

「私は長い間思い続けてきたのだが,プラグマティストはまちがいなくあとからやってきた人種だろう。そして,初めて舟を作った人々や最初に海に出かけて舟人たちは,おそらくロマンティックな人々だったにちがいない。」(文献6, p.89)

《参考文献》

4

ブライアン・M・フェイガン:アメリカの起原(河合信和訳,どうぶつ社)
 

フェイガンの原著The Great Journeyの全訳本。 人類誕生からアメリカ大陸への移動と拡散について検証。

 

5

関野吉晴:グレート ジャーニー(1)(角川文庫)
 

南米南端から逆にアフリカまでの道を自らの脚力と腕力だけで辿る壮大な旅。パタゴニアはカヌーによる海峡横断と徒歩による氷河横断など。

6

ジョン・ターク:縄文人は太平洋を渡ったか(青土社)
 

タークの原著In the Wake of the Jomonの全訳本。 米国で見つかった人骨が縄文人だったという学説を追って,釧路からアラスカまでカヤックで渡った著者の冒険記。シベリア原住民に関する多くの記述もある。


 

 

 

 

 

 

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原住民居住地
ブリッジ島の住居跡再現
原住民再現

ヤマーナ
(インターネットより)

ミロドン洞窟