サルデーニャの歴史と風俗 |
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ヌラーゲNuragheは石造りの高度建築で,高層の塔を中心とした石造り村である。このような村は一時は島内に20,000以上あったと言われているが,現在は8,000程度が確認されている。高層の塔の目的は墓や神殿とも考えられるが,士族を守るための要塞と考えるのが一般的である。塔は先端を切り取った円錐形であり,傾斜をつけることにより石の重みで求心力を得て高層建築を安定化している。3000年 以上も前のこの時代の建築物としては最も進んだものであり,この島以外にはどこにもない独特なものである。塔の方位は冬至の日の 日の出と,月の出の南端になっており,マヤ文明の1500年も前から天文学が発達したという(Wikipedia英語版)。かなり進んだ文化だ。 サルデーニャの先祖はアジア・アルタイ高原にいた遊牧民族で,6000年前に馬に乗ってメソポタミアに至り,さらにエジプトまたはトロイを経由してこの地に入ってきた(参考文献1, p.11)。これによってヌラーゲ文明がもたらされたという。 サルデーニャはその後,南部沿岸地方を中心にフェニキア人に支配され,さらにBC500年にはカルタゴ人,BC238年にはローマ人によって支配された。ローマ帝国の滅亡後は一部ビザンチン,サラセンにより支配され,その後ピサとローマの援助を受けた。同じころ,西北部ではカターニャが進攻し,この地区にスペインの影響を残した。1720年にサルデーニャ王国を形成,カルロ・フェリーチェが大々的な開発を行った。1861年にはサルデーニャ王国がフランス帝国と結んでイタリア北部を統合し,さらに全土を統合して「イタリア王国」と改めた。まさに「歴史の積層する島」(陣内)である。 イタリア統合まで,外国による支配を免れたのがヌーオロを中心とする,中東部の山岳地帯である。ローマ人は攻略不能のこの地をバルバージアBarbagia(野蛮な土地)と呼んだ。ここではサルデーニャ独特の文化が今でも残っている。 陣内は著書(参考文献1)のタイトルを「地中海の聖なる島」と名付けた(このブログのタイトルにも借用した)。なぜ「聖なる島」なのか。ヌラーゲ時代には水信仰があり,「聖なる井戸」が生命の根源と考えられていた。このような聖なる井戸は,都市国家ノーラやタッロスなどではフェニキア,カルタゴ時代にも継承された。また,カトリック教会が「聖なる井戸」の上や近くに建築され,尊重された。ヌラーゲの聖なる井戸は,現在も脈々と受け継がれている。もう一つ大きな特徴は,田園教会chiesa campestreと呼ばれるリゾート教会であり,住居地の教会とリゾート教会の間をマリア様が行き来する盛大な祭りが各所で催される。
祭りはこの島の大きなエポックであり,毎年民族衣装を纏った盛大な祭りが春から夏にかけて行われる。 バルバージアでは,秋になると土地の神は死に,春になると生き返ると信じられている。 祭りは1月中旬からイースターにかけて各地で行われ,ヌラーゲ時代から伝わる儀式で行われる。豊穣神を追悼し,肥沃な大地をなだめるため,特異なマスクをつける。各地の祭りは参考文献8に詳しく書いてある。
秋には各地で秋まつりが行われ,伝統的な作物や食物,陶器や工芸品の
展示や販売も行われる。各地の行事は下記サイトで紹介される。
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イメージ写真 (インターネットより) メンヒル ドルメン ヌラーゲ ビザンチン様式の教会 カターニャ様式の町 カトリックの祭り バーバジアの祭り |